こんにちは。
GOSH TRAINING STUDIO 代表 大野です。
個人的な内容のブログとなります。
去る 2025 年 5 月 24 日、私の師匠である漫才の「昭和のいるこいる」の昭和のいる師 匠が 88 歳で肺炎のため亡くなりました。
漫才師が師匠?と思う方もいらっしゃると思うので、こちらの過去のブログをまずはご一読ください。
私は当時 17 歳で昭和のいるこいる師匠に弟子入りしました。
私が高校 2 年時の 12 月 3 日に、地元の一宮市民会館に師匠が公演で来ていました。
私は当時名古屋吉本に所属をしてライブなどはやっていたのですが、大好きでファン だった「のいるこいる師匠」に会えるチャンスと思い、楽屋まで突撃し弟子入りを志願しました。
この頃から行動力だけはズバ抜けていました。すんなりはいっていませんが、最終的に弟子入りを認めてもらい翌年3月から一人上京し付き人生活が始まりました。
今後もし同じ事を自分の息子がやろうものなら、ぶん殴ってでも止めると思いますが、当時自分はそんな感じで勝手な人生を歩み始めました。
とにかくこの「昭和のいるこいる一門」は稀にみる厳しさで、3 年間みっちり師匠の 鞄持ち、自宅清掃、犬の散歩他雑用などを行い、その間一切舞台に立ってはいけない。と、他の一門ではありえない状態でした。
他の一門は自宅清掃など一切ないし割とすぐに舞台に立たせてもらえます。いわゆる名だけの師弟関係。でもこれが普通でした。
他を知らなかったから、何の疑問もなく師匠の元で修行をしていた訳ですが、 17 歳の生意気な世間知らずのガキには厳しいくらいがちょうど良かったかもしれません。
今回師匠の葬儀でお会いした「青空球児・好児」の青空好児師匠にも「よくのいるこいる一門で耐えたよね」とか、ナイツさんにも「お弟子さんに厳しい珍しい師匠でしたよね」と声をかけていただきました。
厳しいは厳しかったんですが、意外にものいる師匠に怒られた事はほとんどなくいつも優しく接していただきましたし、のいる師匠と 2 人で旅行に行ったり、野球観戦に行ったり、数えきれないくらいの思い出があります。
付き人を卒業してからも、気にかけていただいて毎日のようにご飯をご馳走になり、 私も何かあれば師匠に相談して慕っていました。
2013 年に脳梗塞で倒れ半身付随になりそれ以来寝たきり状態でしたが、最近も正月や上京する際は挨拶に伺って、師弟を越えた本当の親子のように接していただきました。
葬儀では、最後棺を持たせていただき、のいる師匠をお見送りしました。
本当は火葬場まで行きたかったのですが、時間的にどうしても都合がつかず他の弟子に託して、私は名古屋へ戻りました。
ちょうどスポニチの取材が来ていて、その様子は翌日の誌面で掲載され、師匠との最後の写真になりました。
思い出は尽きないのですが、のいる師匠、こいる師匠と亡くなり、頼れる人・怒って くれる人がいなくなり寂しい限りです。
何も恩返しができていない事だけが悔いとして残ります。本当は 2015 年に師匠の結成 50 周年記念興行で私もネタをやるつもりでしたが興行が行えず、私も競演できませんでした。
これからの自分の人生を一生懸命生きて、師匠に誇れるようにしたいなと思います。
のいる師匠、ありがとうございました。天国でこいる師匠とまた爆笑漫才をしてください。
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