「そんなもんだよ、しょうがない。」
久しぶりのブログ更新になります。
しかもトレーニングやキャンペーンの事ではなく、とてもとても個人的な事ですが、どうしてもブログに残しておきたい事がありまして。
去る2021年12月30日、漫才の「昭和のいるこいる」の昭和こいる師匠が前立腺ガンのため亡くなりました。
(左がこいる師匠、右がのいる師匠)
なぜに漫才師の訃報を私がブログに記すか疑問に思われる方がほとんどだと思います。
何を隠そう私は若い頃、それも17歳〜20歳までの3年間、昭和のいるこいる師匠の弟子として付き人をしておりました。
17歳で単身東京に引っ越しをし、漫才師に弟子入りする訳ですから、相当の変わり者で親泣かせだったと思います。。。(高校は名古屋から東京の通信制の高校に転学し、付き人をやりながら辛うじて卒業しております)
付き人って何?って思われるところですが、3年間師匠の家へ通い、掃除や犬の散歩、雑用、そして仕事場に鞄や荷物を持って着いて行き、楽屋でお茶出しや衣装出したり閉まったり、他にも色々な世話をさせていただきます。基本は無給&無休ですが、お小遣いやご飯は食べさせてもらえます。そして深夜アルバイトをして家賃を稼ぎます。
私はこの付き人の3年間、本当に毎日怒られ続け、何度辞めようかと思ったかわかりません。おそらく褒められた事もありません。そりゃ17歳の世間知らずですから普通以上に怒られて当然です。でも結局は師匠の芸が好きで辞めるには至らず3年間を過ごしました。
弟子入り初日にこいる師匠に定食屋にて、
「好きなものを食べていいよ。」
と言われ、よくわからないので目に止まった”チキンカツ定食”を注文したら、
「オレがコロッケ食べてるのに、何でお前がカツなんだ?こういう時は一番安いものを注文するんだよ。」
といきなり怒られました。
“食べるスピードも師匠を見ながら計算して同じスピードで食べ終わる”、とか、”すべて残さず食べ切る”、とか色々教わりました。
おかげ小学校以来に、嫌いな食べ物を水で飲み込んだり、口に入れたままトイレに駆け込みトイレに流していましたね(笑)
台湾ラーメンのスープが辛すぎて残した時も怒られました(笑)
師匠はそうやって敢えて厳しく世間に出た時に恥をかかないようしつけてくれていました。
思い出は尽きませんが、ここ何年かのこいる師匠はとても優しかったです。
結婚する時や、子どもが生まれた時など節目節目では必ず挨拶に伺っていましたが、いつも笑顔で喜んでくれていました。
(2015年8月、長男生後6ヶ月の時です)
最後に師匠と食事をしたのは、3年程前浅草の寿司屋にて、メンバーはこいる師匠、私、そしてゲロゲーロでおなじみの青空球児師匠の3人でした。
その時も私は気を遣って、安い玉子とかかっぱ巻きを注文していたら、
「もういいんだよ。本当に好きな物を食べなさい。」
と言われ、流石にもういいのかと思い、大トロを連続注文して「おい!!」って笑って怒られました。
そして、最後に師匠に会ったのは昨年10月、長男を連れ浅草東洋館まで挨拶に行きましたが、この時すでに体調が悪いのが伝わってきて心配しておりましたが、その後入院をし、12/30に息を引き取りました。
(2021年10月)
世話にだけなって、何も恩返しもできていないので、通夜・告別式に参列した際は、しっかり師匠の祭壇に謝ってきました。
そして感謝の気持ちを伝えました。
相方の昭和のいる師匠は今回の事で憔悴しきっていますが、どうかのいる師匠には長生きしていただきたいです。
それにしても怒ってくれる人がいなくなるのは寂しいですね。
そんなもんだよ、しょうがない。ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ハイ。
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